センダン
晩秋になり、薬草園では葉が落ちて黄色に色づいた果実を、枝にいっぱいつけている木が目立ちます。その木はセンダンで、別名は”金鈴子(きんれいし)や“千珠(せんだま)"と呼ばれています。
センダンと聞けば「知っているわ。”栴檀(せんだん)は双葉より芳し”の木でしょう」と、大方の人は云われます。ところがその栴檀(Santalum album)は香木のビャクダン科のもので、園にあるセンダンとは別種なのです。
何ともややこしい話ですが、栴檀は中国名ではビャクダンを指すのですが、センダンも幹に少し香りがあるため「和の栴檀」として名がついたと謂われています。私はセンダンの花には、ほのかな香りを感じますが、木には香りを感じたことはありません。
また名前の由来としては深津正著の『植物和名の語源探究』に、別の解釈を見つけました。それはセンダンの語源は、「千団子」ではないかという説です。”滋賀県の三井寺で5月16日から三日間行われる「千団子祭り」に供える千個の団子であろう”というのです。そこで祭られる神は千人の子を持つと云われる鬼子母神で、千個の団子を供え、鬼子母神に安産、小児の健康、厄除けなどを祈願する為であると述べています。
このセンダンの熟した果実を、千個の団子に見立てて千団子というようになり、それが詰まってセンダンとなったのではないかと解釈する方が、私は名の由来としては納得できるのです。
センダンの古名は、楝(あふち又はおうち)といいます。『万葉集』には楝を詠んだ詩として、
”妹が見し 楝の花は 散りぬべし わが泣く涙 未だ干なくに”(巻五-798)
というのがあります。この詠み人は筑前守の山上憶良ですが、上司の大宰府長官である大伴旅人の夫人が亡くなったとき、旅人の心中を察して詠んだものです。センダンの花はどちらかといえば地味ですから、その花に重ねた夫人の大伴郎女は余り目立たないおとなしい女性だったのかもしれないと想像します。
また『枕草子』の中で清少納言は、”木のさま難げなれど、楝の花いとをかし。かれがれにさまことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし”と書いています。旧暦の五月五日は、新暦では5月末頃から7月初め頃までに当たります。センダンの開花期は丁度その頃なのです。当時は、ショウブやヨモギなどと共に軒に挿したり、身に着けたりして浄めていたようです。清少納言のこの花への思いを感じると、清少納言を身近に感じられます。
今までセンダンの花を見たことがないという方も多いのではないでしょうか。薬草園には3本のセンダンがあります。来年5月下旬には、近くによって是非ご覧ください。
このようなセンダンですが、可哀想に「獄門の木」という名前をつけられ、忌み木とされています。というのは、京の獄門の外に楝の木が植えてあって、それに平家の大将宗盛父子の首を、左の楝に架けたとのくだりが『平家物語』巻第十一「大臣殿被斬」に載っていることに依ります。隅々傍に生えていただけなのでしょうが、何とも哀れな名前です。
「平家物語」より以前の貞観時代(859~877)には、仏像の材ともされたこともあったのです。代表的な作品には、広隆寺の宝物殿の入口正面にある毘沙門天や金戒光明寺の十一面千手観音、常念寺の薬師如来などがあります。しかしこの時代だけに使われ、以降は全く使われていません。仏像としては風化が激しく彫刻材としては適さなかったのでしょう。
データ
原産地:台湾、中国から西南アジアにかけて分布。
形 態:日本では四国、九州、沖縄に自生し、庭園樹や街路樹に植えられている落
葉高木です。樹高は7m、稀に20mにもなります。幹は暗褐色で縦に裂け
目がはいり、四方に分枝します。葉は互生し2~3回羽状複葉で、小葉は
卵状の楕円形で鋸歯があります。花期は5~6月、大形の集散花序を出し
て、淡紫色か稀に白色の香気ある小さな花をつけます。果実は円形です。
近縁種にはトウセンダン(Melia azedarach var. toosendan)がありま
す。
学 名:Melia azedarach
科 名:センダン科
生薬名:果実⇒苦楝子(クレンシ)
樹皮⇒苦楝皮(クレンピ)
利用部位:苦楝子⇒秋に熟したものを採り、果肉部分を生のまま擂り潰して用いま
す。
苦楝皮⇒細かく刻んで日干しにします。
葉⇒イネ、雑草駆除に。
材⇒建築用装飾材、家具、木魚、琵琶の胴、下駄などに。
利用法:苦楝子⇒ひび、あかぎれ、しもやけに。
苦楝皮⇒虫下し(苦楝皮6~10gを煎じ、一日2回空腹時に服用)
葉⇒粉末又は煎液で。
効 能:駆虫作用、皮膚疾患に。
成 分:果実⇒脂肪油、タンニン、苦味質マルゴシン、ブドウトウ
樹皮⇒タンニン、苦味質マルゴシン、アスカロールなど。